希望年収を先に言うと、なぜ交渉にならないのか|先出しの数字が「上限」になる仕組みと、フェーズ別の渡し方

こんにちは、ライトです。

希望年収は「出す/出さない」ではなく、どのフェーズで・どの精度の情報を・何のために出すかで決めます。

▼ 希望年収を聞かれた、あの瞬間

たつや

エージェントに「まず希望年収を教えてください」と言われて、固まってしまいました。

あさみ

私は前に「応相談」で押し切ったんですけど、あれで良かったのか今も不安で。

たつや

低く言うと損しそうだし、高く言うと書類で落とされそうで…。

あさみ

前に伝えた数字が、どこかで独り歩きしている気もするんですよね。

ライト

二人とも、悩んでいるのは金額そのものではなく「今どの段階で、何を渡すか」の順番なんです。なぜそうなるのか、構造を解説します。

エントリーフォームの希望年収欄で、手が止まる。エージェント面談で「先に希望額を」と言われる。一次面接で「希望年収は?」と聞かれる。どれも一瞬の場面ですが、ここで出した数字は、その後の選考と条件提示にずっと影響します。

正直、僕もこの一言の重さはよく分かります。人材会社で転職エージェント向けの集客や新人育成に関わり、求職者とエージェント双方の「建前と本音のズレ」を見てきました。数字を一つ出しただけで、話の土俵が決まってしまう場面を何度も見ています。

この記事では、「先に言うな」という禁止の話はしません。数字を出す場面を段階で分け、それぞれで何をどの精度で渡すかを整理します。

この記事で分かること

希望年収は、出すかではなくフェーズと精度で決める。

先に出す確定額は、交渉ではなく上限の申告になりやすい。

次に聞かれたとき、幅と条件で返せる状態になる。

▼ こんな悩みを持つ人へ

  • 転職活動を始めたばかりで、希望年収の欄や質問にどう答えるか迷っている
  • エージェント経由で進めていて、「先に希望額を」と言われて戸惑った
  • 士業・会計・経理・管理部門など、書類や初回面談で給与レンジが固まりやすい職種にいる
  • 「控えめに言ったほうが通りやすい」と考えてしまう
  • 過去に希望額を先に出して、後から「もう少し取れたかも」と感じた
  • まだその場面に来ていないが、聞かれる前に備えておきたい

この記事の全体像

1

今どのフェーズにいるかを特定する

2

そのフェーズで出すべき情報の精度を決める

3

数字は単一額ではなく、幅と内訳で出す

4

提示後のすり合わせで、根拠と代替しにくさを返す

5

短期・中期・長期で動きを分け、転職・内部転換・準備継続を比べる

この記事でいう「フェーズ」は、次の3つです。

① 応募・スクリーニング … 条件がかけ離れていないかの確認

② 面接でのレンジ確認 … 自社の枠に収まるかの確認

③ 内定前後〜承諾前 … 提示額を社内で説明するための材料

以降の章は、この①〜③を分けて考えるための整理です。

希望年収を聞かれた瞬間に止まっているのは、金額ではなく「順番」です

結論から言います。希望年収の質問で固まるのは、相場を知らないからではありません。どの段階で、何を出すかの順番が決まっていないからです。

冒頭の3場面を思い出してください。応募フォーム、エージェント面談、一次面接。どれも「希望年収」という同じ言葉で聞かれます。でも、それぞれの場面で相手が必要としている情報は違います。

応募段階の相手は、条件がかけ離れていないかを確認したいだけかもしれません。面接の相手は、自社の枠に収まりそうかを見ているかもしれません。内定前後になって初めて、具体的な金額のすり合わせが始まります。

つまり、同じ質問に見えて、実は別の問いなんです。これを一つの問いとして受け取るから、「いくらと言えば正解か」という答えのない悩みに入り込みます。

実務の側にも、伝えるタイミングの考え方はあります。たとえばJAC Recruitmentは、希望年収を伝えるのに適したタイミングを「企業側に聞かれた時」と解説しています。タイミングに型がある、という事実だけでも、焦りは少し減るはずです。

僕も人材業界の内側にいた人間ですが、給与を最終決定する立場ではありませんでした。ただ、現場で値付けを揉む側にはいました。そこで見えたのは、金額そのものより「出した順番」で結果が変わる場面でした。

一つ例外があります。「応相談」と書いて逃げても、順番の問題は消えません。出さないことを決めただけで、いつ何を出すかは決まっていないからです。

次の章では、なぜ順番がそこまで効くのかを、先出しした数字の「使われ方」から説明します。

希望年収は正直に言うべき?

Q:正直に言わないと、不誠実に見えませんか?

A:誠実さとは、虚偽を言わないことです。どの段階で、どの精度の情報を渡すかは、誠実さとは別の設計の話です。この記事は後者を扱います。

Q:低めに言ったほうが、選考は通りやすいのでは?

A:「通りやすさ」と「その後の年収」は別の問題です。この点は、年収が決まる仕組みを扱う章で詳しく整理します。

Q:この記事で扱わないことは?

A:交渉の裏技、現年収の虚偽申告、他社オファーの盛り上げは扱いません。それらは交渉ではなく、別のリスクの話です。

先に出した希望年収は、交渉の第一手ではなく「自分の上限の申告」になります

先に単一の確定額を出すと、その額は交渉の出発点になりません。相手が社内で金額を説明するときの「上限の根拠」になりやすいんです。

先に出した確定額は、交渉の出発点ではなく上限の根拠になりやすい

なぜそう言えるのか。企業の側に立つと分かります。採用担当者は、提示額を上司や人事に説明しなければなりません。そのとき「本人の希望額がこうだった」は、とても使いやすい説明材料です。

希望額ちょうどで出せば、誰も反対しません。希望額より上で出すには、別の理由が必要になります。正直、わざわざその理由を作る動機は、企業側にはあまりありません。

マイナビ転職の記事では、専門家の見解として、次のような趣旨の説明が紹介されています。

応募者から「700万円希望」と出すと、企業が800万円出せても700万円で止まりやすい。

これは専門家の見解であり、すべての企業の制度ではありません。ただ、「先出し額が上限化する」という仕組みを実務の言葉で表しています。

交渉の一般理論にも、同じ方向の考え方があります。PRESIDENT Onlineでは、交渉術アドバイザーのロジャー・ドーソンの考え方が紹介されています。給与交渉では先に希望額を言わず、相手の最初の提案を先に得るほうが有利だ、というものです。ただし、これは海外の一般的な交渉理論です。日本の中途採用での成功確率に、そのまま置き換えることはできません。

僕が関わった支援でも、これに近い場面がありました。30代後半の会計士で、CFO候補の方です。カジュアル面談に近い段階で、本人が「希望は1,400万以上」と先に伝えました。

相手は明らかに引いていました。受け取られた印象は「硬い」「交渉余地がない」「役割より条件が先」。企業からは、スキルは高いが自社の給与体系への配慮に不安がある、という反応が返ってきました。結果、その企業との話は見送りで止まりました。

本人の能力が低かったわけではありません。価値の説明が終わる前に、値札だけが出てしまったんです。

ここで大事なのは、金額が高すぎたという話ではない点です。問題は順番と見え方でした。実際、この方は次の企業で伝える順番を変え、話が前に進みました。その中身は、評価軸を扱う章で紹介します。

先出しは、金額の天井と人物の印象を、同時に固定してしまいます。まずは、自分が出した数字がどこで使われるのかを意識してください。

先出しした確定額

  • 症状:提示額が希望額の付近で止まる、または話自体が止まる
  • 原因:その数字が、企業の社内説明の「上限の根拠」として使われる
  • 対策:初期段階では単一額を避け、価値が伝わった後に数字を扱う

提示後に出す根拠

  • 症状:提示条件に対して、相談の余地が生まれやすい
  • 原因:相手はすでに評価を固めており、根拠があれば社内で説明できる
  • 対策:なぜその額が妥当かを、相手が説明に使える形で返す

▽ ここから「なぜこの状態を放置すると危険なのか」の話

年収は「希望額」では決まらない——相場・分布・任される椅子の3層

年収は、希望額の申告で決まるものではありません。市場の分布、企業の給与設計、任される役割という、別々の層で動いています。

まず市場の分布です。厚生労働省の「令和6年雇用動向調査」によると、転職入職者で前職より賃金が「増加」した人は40.5%でした。一方で「減少」は29.4%、「変わらない」は28.4%です。

マイナビキャリアリサーチLabの調査でも、2024年に転職した正社員の平均年収は、転職前より22.0万円高くなっていました。ただ、転職後に年収が上がった人の割合は39.4%です。平均と個人の結果は別物で、全体の数字はあなた個人の結果を約束しません。

次に企業の給与設計です。多くの企業には、等級や職務に応じた給与の枠があります。希望額をいくら上げ下げしても、この枠そのものは動きません。

そして、最も動かしやすいのが3つ目の層、任される役割です。同じ職種でも、どの難易度の仕事を任されるかで、提示されるレンジは変わります。

僕が支援で見た、ある面談の冒頭を紹介します。38歳の税理士の方でした。現年収が780万円で、950万円と言うと高いか、最初は謙虚に850万円くらいで言ったほうが通りやすいか、という相談でした。

そのとき、僕は正直焦りました。

この人は、自分で自分を安く売り始めている。

僕はその場で、「850万と自分から上限を決めるのは、やめてください」とはっきり返しました。本人は、マネジメント経験もないし、高望みして落とされるのが怖いと不安そうでした。

でも、企業が求めているのは安く雇える税理士ではありません。自社の税務・財務の課題を、一人で打ち返せる人です。自信がないから数字を下げるのは、謙虚さではなく、自分の棚を自分で下げる行為です。

書類と初回面接では、具体的な希望額を出すのをやめてもらいました。代わりに、一人で完結できる税務の範囲を過不足なく伝えてもらいました。最終的な提示は、1,000万円に役職手当が付く形でした。

もちろん、これは僕が関わった一件の結果です。ただ、現場で見る限り、士業は書類と初回面談のレンジ設定の初速で決まりやすい傾向があります。一度「控えめな人」と認識されると、巻き返しは簡単ではありません。

まずは、自分が「希望額」という層だけで勝負しようとしていないか、確認してください。

希望額で動く層

  • 症状:数字を上下させれば、結果が変わると考えてしまう
  • 原因:申告額を、年収を決める主な変数だと思っている
  • 対策:申告で動かせる範囲は狭いと知り、他の層を確認する

役割で動く層

  • 症状:同じ職種・同じ年代でも、提示レンジに差がつく
  • 原因:任される仕事の難易度と、相手からの信頼度が違う
  • 対策:自分が任せられる役割を棚卸しし、言葉にしておく

先出しのまま進めたときに起きやすい4つのこと

フェーズを分けないまま先出しを続けると、金額・印象・情報量の3方向で、選択肢が狭まりやすくなります。すべての企業で起きるとは限りません。ただ、起きやすい事象として知っておく価値はあります。

⚠️ このまま放っておくと…

  • 提示額が、希望額の付近で止まりやすい。企業に上げる余地があっても、そこで止まる可能性がある
  • 早い段階での金額先行が、印象を固定する。「お金が第一」と受け取られる可能性がある
  • 単一額の申告で、レンジの棚が狭まる。一度「控えめな人」と見られると、巻き返しが難しい
  • 提示後の相談が、「最初に聞いた話と違う」になりやすい。先に出した数字が、後の相談を縛る

先出しそのものが悪いわけではありません。問題は、フェーズを分けずに同じ数字を出し続けることです。

逆に、希望を一切共有しないことにもリスクがあります。これは時間軸を扱う章で、実際の場面とあわせて扱います。

今やるべきことは一つです。次に希望年収を聞かれたとき、それが①〜③のどのフェーズの質問なのかを先に考えてください。

その数字は誰が、どの場面で使うのか——危機は「選考」と「社内説明」に効きます

希望年収は、二つの目的で使われます。選考の可否を判定するため。そして、企業が社内で金額を説明するためです。だから、出し方によって意味が変わります。

なぜ相手は、そんなに早く希望年収を知りたがるのか。企業側の事情から見てみましょう。JAC Recruitmentは、企業もスキルを把握する前は年収を想定しにくいと解説しています。つまり、早い段階の数字は、判断材料が少ない中での目安として使われます。

一方で、希望をまったく聞かないまま進めるのも、企業にとってはリスクです。リクルートエージェントは、希望を聞かないまま選考を進めるリスクを説明しています。内定前後で折り合いがつかず、見送りや辞退になりうる、というものです。相手が早く知りたがるのには、合理的な理由があるんです。

エージェント側にも構造があります。僕がいた頃のエージェントは、スカウトから面談、書類送付、サポートまでを一気通貫で担っていました。決まらなければ売上がゼロになる、自転車操業に近い構造です。

だからこそ、僕はこう考えるようになりました。怖いのは悪意より、「善意の顔をした成約圧力」だと。決まる方向へ条件を寄せたくなるのは、個人の資質ではなく構造の問題です。

僕自身も、支援者としてこの圧力に負けたことがあります。税理士の方の支援で、企業に現年収を曖昧に寄せて伝えてしまいました。入社後、本人から「あの時、もう少し取れた気がしてます」と言われました。それ以来、現年収は本人の許可なく出さない、とルールを変えました。

一方で、希望額の伝え方は、案件ごとに判断していました。本人の希望額を、そのまま企業に伝えたこともあります。SIerからメガベンチャーの技術リードを目指したエンジニアの方でした。現年収900万円に対し、希望は950万円。企業の予算枠も、その額を十分に出せる状態でした。

希望額が相場・実績・企業の枠とそろい、本人の意思も固い。こういうときは、駆け引きをしないほうが早く合意できます。

逆に、あえて伝え方を変えたこともあります。外資コンサルから日系企業の企画職を志望した、30代前半の方です。前職は1,200万円で、「それ未満なら行かない」と言っていました。ただ、応募先の同年齢の上限は950万円程度でした。

そのまま伝えれば、書類で止まります。僕は企業に、今回は事業会社での実務経験を優先したい考えで、金額は給与テーブルに合わせて相談可能だと伝えました。選考が進み、企業が「彼が欲しい」となってから、評価を理由に1,050万円まで引き出しました。

同じ「希望年収」でも、どの段階で、誰の説明に使われるかで、渡し方が変わる。これが、僕が現場で学んだことです。

希望年収が使われる3つの場面

  • ステップ1:応募・スクリーニング → 条件がかけ離れていないかの確認。求められる精度は「大まかなレンジ」
  • ステップ2:面接でのレンジ確認 → 自社の枠に収まるかの確認。求められる精度は「幅と、その理由の概要」
  • ステップ3:内定前後〜承諾前のすり合わせ → 提示額を社内で説明するための材料。求められる精度は「具体的な根拠」

チェック項目:今聞かれているのは、どのステップの質問か。そのステップが求める精度を超えた情報を、出していないか。

▽ ここから「本当に解くべき課題は何か」の話

表面の悩みと本当のボトルネック——先出しの正体は「フェーズ混同」です

問題は「先に言ったこと」そのものではありません。スクリーニング用のレンジ情報と、提示後の条件の根拠づけを、同じ行為として扱ってきたことです。

読者の悩みは、たいてい表面に出てきます。失礼じゃないか。正直に言うべきか。低めのほうが通るか。「応相談」でいいか。でも、これらはすべて同じボトルネックから生まれています。フェーズの混同です。

ここで、この記事の再定義を一度だけ置きます。

年収交渉とは、数字を先に宣言することではなく、提示条件に「なぜその額が妥当か」を相手の社内説明に使える形で返すこと

実際、交渉の主戦場は提示後にあります。マイナビ転職が紹介する調査では、中途入社者の約33%が給与交渉をしていました。直近3カ月以内に交渉した人のうち、当初提示より上がった人は90.3%です。企業側も54.8%が「上げる余地があった」と答えています。

ただし、これは交渉した人に限った結果で、2.6%は当初提示より下がっています。交渉すれば必ず上がる、という話ではありません。それでも、交渉の実態が「提示後のすり合わせ」にあることは読み取れます。

そう考えると、会計士の方の先出しも、税理士の方の「謙虚に低めで」も、同じ構造です。前者は価値の説明前に値札を出し、後者は自分で自分の棚を下げました。どちらもフェーズの混同です。

もう一つ、見落とされがちな点があります。交渉の材料は、交渉の場では作れません。僕自身、何でも拾う便利屋になっていた時期、年収交渉の材料が薄いと感じていました。上司からも「次の等級に上げる説明が弱い」と言われました。

交渉で返す根拠は、日常の役割設計の中で作られます。役割の明確さ、評価の説明可能性、専門性の輪郭。これが提示後に返す「理由」の正体です。

相手に渡す「理由」をつくるには、自分の市場価値と、今任されている役割を先に分解しておく必要があります。その分解の仕方は、市場価値の決まり方を扱った記事で詳しく解説しています。

本当の課題

表面の悩み「先に言うと失礼では?」 → 本当の課題:どのフェーズの質問かを区別していない

表面の悩み「低めのほうが通りやすい?」 → 本当の課題:通過と条件を同じ行為として扱い、自分の棚を下げている

表面の悩み「応相談でいいか?」 → 本当の課題:出さないことを決めただけで、いつ何を出すかが決まっていない

表面の悩み「先に高く言えば有利?」 → 本当の課題:価値の説明前に値札を出し、天井と印象を同時に固定している

▽ ここから「では何をすればいいか」の話

判断の評価軸は3つ——「フェーズ×精度」「天井」「理由」

では、具体的に何を基準にすればいいか。軸は3つだけです。

3つの評価軸の全体像

  • ステップ1:フェーズ×精度 → 今のフェーズで求められている精度を見極め、それ以上の情報を出さない
  • ステップ2:天井 → 出した数字が、誰の、どの説明に使われるかを想定する
  • ステップ3:理由 → 提示後に、代替しにくさと社内説明に使える根拠を返す

チェック項目:今出そうとしている数字は、3つの軸のどれに答えているか。

①フェーズ×精度

一つ目は、情報の精度をフェーズに合わせることです。応募段階なら大まかなレンジで足ります。面接なら幅と理由の概要。確定に近い数字は、内定前後で扱えば十分です。

精度を上げすぎると、後で動かせなくなります。精度を下げすぎると、折り合いの確認ができません。求められた精度に合わせる、という発想を持ってください。

②天井

二つ目は、数字の使われ先を意識することです。出す前に「この数字が上司への説明に使われたら、どこが天井になるか」を考えます。

僕自身、教育関連企業から人材会社へ移るときの面接で、終盤に希望年収を聞かれました。当時の年収は600万円強でした。安く買いたたかれたくない。でも、お金目的だと思われるのも嫌だ。正直、葛藤がありました。

そこで伝えたのは、現年収を下回らない形を希望すること。そして、担う役割と成果への期待に見合うオファーをいただきたい、ということでした。下限だけを伝え、上限は切らなかったんです。振り返ると、これは正解だったと感じています。

支援の現場でも、僕は二つのルールを持っていました。「現年収は未来を決める数字ではない」「初期オファーは観測気球」。初期に出てくる数字は、相手の温度を測るものです。最終判断の数字として扱わない、ということです。

③理由

三つ目は、提示後に返す根拠です。年収を動かすのは希望額ではなく、任される役割の難易度と信頼です。

先ほどの会計士の方は、次の企業で伝える順番を根本から変えました。最初に、その企業のフェーズで最大の壁になっている課題への見立てを話しました。次に、自分が入れば何をどこまで自走化できるかという役割を示しました。

前職の年収は、最後に共有しました。初年度から同額を保障してほしいわけではない、と添えたうえで、です。企業側も警戒を解き、固定給をベースに業績連動のインセンティブを組み合わせる形で、着地点を一緒に探ってくれました。

同じ人、同じ金額感でも、順番が変わるだけで相手の受け取り方は変わります。これが、提示後に「理由」で返すということです。

交渉は、特別な人だけがする行為でもありません。マイナビの「転職による年収アップの実態調査」は、直近2年以内に転職した800名が対象です。そのうち、年収交渉をした人は55.9%でした。

まずは、次の整理で自分がどのフェーズにいるかを確認してください。

応募・スクリーニング

  • 求められる精度:大まかなレンジ
  • 出すもの:現年収の概要と、希望の下限や幅
  • 避けたいもの:単一の確定額

面接でのレンジ確認

  • 求められる精度:幅と、その理由の概要
  • 出すもの:希望レンジと、任される役割による変動の可能性
  • 避けたいもの:最終選考前の強い条件交渉

内定前後〜承諾前

  • 求められる精度:具体的な根拠
  • 出すもの:役割・代替しにくさ・社内説明に使える材料
  • 避けたいもの:承諾後や内定直後の、後出しの強い要求

3つの評価軸を実行に移す共通手段——明日の面談で使う聞き方と一枚メモ

3つの評価軸を実行する手段は、三つに集約できます。事前の一枚メモ、面談で使う聞き方の型、提示後のすり合わせでの発言の順番です。

まず一枚メモです。書くのは3点だけ。希望レンジの下限、現年収の内訳、そして+αの根拠となる「任せられる役割」です。これを先に書いておくと、聞かれた瞬間に固まらずに済みます。

次に聞き方の型です。日経転職版は、面接中は現年収と希望レンジに幅を持たせて伝えることを勧めています。本格的な交渉は、内定連絡後から承諾前が推奨されています。逆にNGとされるのは、初期面接での条件の持ち出し、最終選考前の強い交渉、承諾後の交渉です。これらは各媒体の推奨で、全企業に共通するルールではありません。

応募フォームの希望年収欄は、二つのパターンで考えます。記述式なら「貴社規定に従います」と書き、面談で役割と期待を踏まえて相談したいと添えます。数字の入力が必須なら、現年収相当を下限として入れ、備考欄で役割を踏まえて相談したいと添えます。

どちらも、出さないことが目的ではありません。①のフェーズで求められる「大まかなレンジ」を、上限を切らない形で渡すということです。

最後に、提示後の発言の順番です。僕が関わったケースで、提示750万円に対し、850万円まで条件が動いたことがあります。成長フェーズのWebサービス企業でした。

本人が返したのは、まず内定への感謝でした。次に、面談で任された「マーケティングチームの立ち上げと組織化」という役割の重さに触れました。そのうえで、初年度からメンバーのマネジメントと採用目標まで責任を持つと示しました。その前提で、役割に見合う額を検討してほしいと伝えました。

「お金が欲しい」ではなく、任される責任の範囲を自分から広げ、覚悟を示す根拠として数字を出したんです。社長もそれを受けて、決裁を出してくれました。

複数の選考を並走させている場合は、その温度差も材料になります。ただ、僕は他社の社名や正確な提示額は出させませんでした。伝えたのは、他社から高い評価を受けていること、それでも本命は御社であること、そして判断の期限が迫っていることです。これで、本命企業の選考と条件提示のスピードが大きく上がりました。

そして最後に、本人に「その条件を飲む理由」まで言語化してもらいます。飲む理由が言えないまま承諾すると、入社後に「もう少し取れたかも」が残るからです。

明日やることは一つです。一枚メモを作り、次に聞かれた場面で、確定額ではなく下限や幅と条件で返してください。

📋 面談前・面談中・提示後

面談前

  • 希望レンジの下限を決めて書き出す
  • 現年収の内訳(基本給・賞与・手当など)を整理する
  • +αの根拠になる「任せられる役割」を1〜2行で言葉にする

面談中

  • 聞かれるまでは、自分から金額を切り出さない
  • 聞かれたら、単一額ではなく下限や幅と条件で返す
  • そのフェーズで相手が必要としている精度を意識する

提示後

  • 提示条件を「観測気球」として受け取り、すぐに確定させない
  • 役割と根拠を、相手が社内で説明できる形で返す
  • その条件を飲む理由を、自分の言葉で言えるか確認する
📎 聞き方の言い回し集
  • 下限を出す:現年収を下回らない形を希望し、上限は役割と期待に委ねる
  • 内訳を出す:現年収を総額だけでなく、構成要素で伝える
  • 判断材料を聞く:役割・等級・評価の決まり方を、相手に確認する
  • 提示後の相談を切り出す:感謝→任される役割の重さ→引き受ける責任の範囲→その責任に見合う額、の順で伝える
  • 並走の温度差を伝える:他社名と金額は出さず、評価の事実・本命であること・判断期限を伝える

▽ ここから「短期・中期・長期でどう動くか」の話

短期・中期・長期でどう動くか——例外、やりすぎの注意、そして転職以外の選択肢

短期は、情報の出し方を整える。中期は、任される役割を広げる。長期は、転職・内部転換・準備継続を同じ土俵で比べる。この順番で動いてください。

短期でやるのは、ここまでの内容です。一枚メモを作り、フェーズごとの出し方を決める。次に聞かれた場面から、すぐに使えます。

中期では、交渉の材料そのものを増やします。年収を動かすのは希望額ではなく、任される役割の難易度と信頼でした。

僕自身、人材会社にいた頃、社内で役割を取りにいったことがあります。当時の組織では、みんな個人の目標を追うのに必死でした。一方で、チームの達成率や新人の立ち上がりの遅さが課題でした。地味で、自分の数字に直結しない仕事だったからです。

僕は上司との1on1で、個人目標の達成を前提に、チームの底上げ役を任せてほしいと申し出ました。新人の同行フォローと、受注事例の型化を引き受ける。その代わり、成果が出たら期末の評価で正当に引き上げてほしい、と伝えました。

結果として、評価は最上位クラスになり、翌期のグレード改定で給料が大きく上がりました。転職に頼らなくても、組織の痛みを拾って役割を定義し直せば、年収や評価は動かせる。これは僕の実感です。

長期では、転職を唯一の選択肢にしないことです。相場は動きます。厚生労働省の雇用動向調査を見ると、令和7年上半期は令和6年と比べて、賃金が増えた人と減った人の差が縮まっていました。半期の数字なので断定はできませんが、レンジを固定しすぎず、定期的に見直す理由にはなります。

僕は人材業界にいた頃、求人が一気に冷え込み、求職者の行き先が消えた現場を見ました。市場は、個人の努力と関係なく変わります。だからこそ、転職だけに賭けない選択肢を持っておく価値があります。

転職

  • 向いている状況:今の職場では任される役割が広がらず、外に明確な椅子がある
  • 注意点:評価のされ方が変わらないまま場所だけ変えると、同じ悩みが残る
  • 最初の一手:一枚メモを作り、フェーズごとの出し方を決める

社内転換

  • 向いている状況:社内の次の椅子と給与テーブルが明確で、役割を広げられる
  • 注意点:便利屋になると、交渉材料が薄くなる
  • 最初の一手:組織が困っている空白の役割を見つけ、引き受ける条件を上司と握る

準備継続

  • 向いている状況:勤務地・時間など年収以外の事情が主目的、または相場が読みにくい
  • 注意点:準備が目的化し、動く時期を逃す
  • 最初の一手:レンジを定期的に見直し、役割の棚卸しを続ける

今の会社でも役割を取りにいける余地がある人は、転職の前に、社内で椅子を広げる方法を見ておくほうが早いことがあります。空白の役割の見つけ方は、別の記事でまとめています。

例外も明確にしておきます。まず、勤務地や労働時間を優先して年収ダウンを受け入れる転職です。この場合、交渉しないことが合理的な判断になります。次に、給与テーブルがグレードと評価で厳密に決まる企業もありえます。そこでは先出しの是非より、グレードと職務範囲の確認が先です。

そして、希望を一切共有しないのも危険です。僕の支援でも、「応相談」と書いたまま、面接で一度もお金の話をせず内定まで進んだケースがありました。企業は前職と同等で納得していると考えて提示しました。本人は上がるはずだと期待していて、提示を見て「評価されていない」と感じ、辞退しかけました。

「応相談」と書くこと自体は問題ありません。ただ、②のフェーズのどこかで、期待役割と提示額の目線をすり合わせる作業がセットで必要です。

最後に、やりすぎの失敗です。30代後半の営業マネージャー候補の方の支援でした。面接中は「年収は御社の規定で構いません」と答え続けていました。ところが700万円の内定通知が出た途端、他社の存在を理由に、850万円にならないと承諾しないと伝えたんです。

企業の反応は一瞬で冷えました。面接で語っていた事業への共感は何だったのか、と受け取られ、提示は撤回されました。後出しと「〜してくれないと行かない」という伝え方は、交渉ではなく信頼の破壊になります。

📌 やりすぎの注意

  • 交渉は信頼関係の延長線上で行う。面接の中で少しずつ前提をそろえておく
  • 現年収の虚偽申告や他社オファーの盛り上げは、交渉ではなく別のリスク
  • ダウン前提・勤務地優先なら、交渉しない判断も合理的

私の感想

正直に言います。僕が年収の差を一番実感したのは、交渉の場ではありませんでした。

教育関連企業にいた頃、同期との間で、年単位で見て100万円近い差がついた時期がありました。

その差は、成績だけでは説明できませんでした。「難しい担当を任されたか」「リーダー業務を持てたか」。つまり、信頼度で決まっていたんです。

僕自身、「難しい案件の詰まりを見つける論点を持ち込める人」と見られてから、昇進しました。翌年度には70〜90万円ほど上がったと記憶しています。どれも記憶ベースの数字ですが、一つだけはっきりしていることがあります。

希望額を先に言ったかどうかは、この差のどこにも関与していなかった。

年収を動かしたのは、交渉の前に決まっていた「任される椅子」でした。希望年収の出し方は、その椅子を広げる作業の一部にすぎません。

では、その椅子の価値はどう決まるのか。詳しくは市場価値の決まり方を扱った記事でも解説していますが、市場価値はスキルと市場需要、そしてネゴ力の掛け算です。ネゴ力は、口のうまさではありません。自分の役割を、相手が説明できる形で渡す力です。転職も、そのための手段の一つにすぎないと僕は考えています。

▼ 次に聞かれたら

たつや

つまり私は今、面接でのレンジ確認の段階だから、確定額じゃなく下限や幅と条件で返せばいいんですね。

あさみ

本当にそうですね。応募フォームで数字が必須のときも、下限を入れて相談を添えればいいんだ。

たつや

数字を当てにいくんじゃなくて、どの段階で何を渡すかを決めればいいのか。

ライト

そうです。まずは無料のキャリア診断ツール(3分)で現在地を確認し、その結果をもとに自分の仕事を分解してみてください。言葉にしにくい部分が残るなら、そこで初めて第三者と話せばいい。一人で抱え込まなくて大丈夫ですよ。

結論

希望年収は、「出す/出さない」で悩むものではありません。どのフェーズで、どの精度の情報を、何の目的で出すかで決めます。

先に単一の確定額を出すと、それは交渉ではなく、自分の上限の申告になりやすい。交渉の実態は、提示後のすり合わせにあります。そこで返すのは希望額ではなく、なぜその額が妥当かという根拠です。

結局、これだけです

例外は、書類の必須項目・固定テーブル・ダウン前提。

それ以外は、確定額ではなく下限や幅と条件で返す。

今日、下限と任せられる役割を1枚に書き出す。

この記事では、希望年収を「どの段階で、どの精度で渡すか」という話をしました。ただ、渡す中身である自分の下限と任せられる役割が言葉になっていないと、どの段階でも同じところで止まります。

診断は、答えを出すものではありません。自分の仕事を分解し、次の判断を考える材料です。まずは現在地を一度見ておく。それだけでも、次の面談の返し方は変わります。

すべての挑戦者の手に、勝てる「戦略」を。戦略を知れば、世界は読み解けるゲームに変わる。その確信と武器を届けることが僕のミッションだ。

ライト

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この記事を書いた人

MBA取得・転職業界10年以上・3000人以上の転職支援を経て気づいた「年収の本質」を発信しています。
20代は2時間睡眠で働いても年収が上がらず、「生産性が悪い」と評価された時期も。転職を重ねる中でやっと見えてきたのが「年収は椅子で決まる」という構造でした。
その構造を、企業戦略・AIスキル・転職ハック等の軸で体系化したのがこのブログです。
ベネッセ・リクルート・シンクタンクを経て現在に至る。MBA保持者。Udemy「AI時代の転職術」講師。

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